京の肉処コラム

和牛~明治以降の牛肉文化と和種の発展~

2019年06月25日

 先回は、和牛が純粋な日本の血ではなくて、輸入牛の交配によって作られた品種であるという意外な事実についてお伝えしました。

 今回は、どのような背景から日本において在来種と輸入した牛を交配した牛を作ろうということになったのか、さらにどのような経緯で現在の美味しい和牛に発展していったのかについてご紹介してまいります。

 

明治時代以前の牛肉文化

役牛

 古来より日本人は農耕民族ということで、牛を役牛(えきぎゅう。物を運んだり、農作業の手伝いをする牛)として飼い、とても大切に扱っていました。

 天武天皇の時代(飛鳥時代)以降は、仏教や神道の教えに基づき、繰り返し肉食が禁止されました。これは仏教の影響に加えて、稲作文化を守る為であったと言われています。しかし、いろいろな文献を見ると実際には滋養強壮などの名目で密かに食されていたようで、このような時代が長く続きます。

 しかし江戸時代末期になり、黒船が来航して開国となると、日本国内に牛肉を食する外国人が増え、牛肉が必要とされるようになっていきます。

 

明治時代の牛肉文化

牛鍋を食する日本人

 大政奉還の後の明治5年、明治天皇はみずから牛肉を食べて肉食を解禁されます。西洋化を推進するために、政府の方針として肉食が推奨され、食の文明開化が進み、牛肉の需要は急激に増えていきます。

 また、かの福沢諭吉は牛肉を好んでよく食べ、「滋養に良い」と説いて多くの人にすすめました。その影響等によって庶民の間にも牛肉を食する文化が広がり、牛鍋屋が急増していきます。牛鍋とは、鍋で牛肉を野菜などと煮ながら食べる料理で、今のすき焼きに似ています。当時は味噌で味付けすることが多かったようです。

 このようにして国内の牛肉の需要が著しく拡大しましたが、日本の在来種は小型(成牛で体高100cm~110cm程。現在の黒毛和種は140cm程なので、だいぶ小さかったようですね。)であった為、役牛以外には適していませんでした。そこで日本政府が主体となって牛の改良が進められていきます。具体的には、欧州などからいろいろな種の大型の牛が輸入されて、在来種との交配が試行錯誤されるようになりました。

 いろいろな試みの末、日本政府は雑種の長所を生かし短所を補い、かつ日本の農業に適した牛にするための基本方針を示します。そして政府が、地方の実情に合わせて各県で独自に改良することを奨励した為、大正時代には、中国地方や九州地方において本格的に牛の改良が行われるようになっていきます。

 このような牛肉の改良の歴史があったからこそ、今の私達は美味しい和牛を食べられるようになりました。とてもありがたいですよね…話が長くなってきましたので今回はこの辺りで失礼します。次回はもう少し詳しくお伝えします。お楽しみに!!

  

 

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